突然のスランプのやり過ごすには

ひと月ほど前のこと、いつものように韓国語学院で先生と向き合って宿題の文章を訳していると、日本語訳の部分で先生の訳文がどうにもしっくりこないことがあった。それから後の授業はそのしっくりこない感覚が顔に出てしまったのか、なんとも後味の悪い微妙な空気感の授業になってしまった。先生は場の雰囲気を保つために気を遣ってくれていたと思う。しかしどうしてこんなことが起きたのか原因が気になってその後もあの授業中の違和感についてもやもやと考えていた。

私は「韓国語」を学びたいのであって、日本語を学びたいわけじゃない。訳文は結局本質的に個人個人の作文なのではないか。ぐるぐる思考していると思いがけない答えが現れた。自分は言語を学びたいはずなのに、他人の言葉を理解しようとしていないではないか。割と大きめのゲンコツで頭をガツンと殴られたような感覚だった。立て続けに、スランプに陥っていると自覚した。

一時的に学習の目的を見失ってしまったのだと思う。試験用の勉強にも身が入らず、「私たちのブルース」以降疲れ切ってしまって韓国ドラマにもちょっと触れたくない。語彙を増やさないといけないのに興味は別の趣味に向かってしまう。

偶然にも宿題がない週だったので、持て余した時間を語学院の教科書を読み直すことに充ててみた。動詞の変格や、語尾変化、発音変化を見直して、ついでに今までの自作の単語ノートを見直していた。膨大な量の自作の単語ノートは一回で覚えられないので何回も既出の単語が現れる。しかし書いている時はそんなことを気にせずどんどん書き足しているので基本的に見返すことを前提にしていない。

そんな地味な作業をしていると、過去の自分を思い出してきて、ついにはよくここまでやってきたもんだと自分自身を褒めているではないか。過去の教材やノートを見返すことは、単純に復習する意味ではあるけれど、実はそれよりも今まで自分が勉強してきた道を振り返って初心を思い出すこと、自分を褒めてやることの方が大きな役割かもしれない。おかげでボキっと折れたはずの学習意欲が静かに復活しはじめた。

自分は韓国語の全くの初心者だった頃理解できない部分が出てきたら、とりあえずそのまま置いておいて先に進んでいた。わからなかったら何回でも戻って繰り返せばいいと思っていたから。行き詰まったら戻る。しかもだいぶ後ろの地点まで戻るのもスランプをやり過ごすにはいいのかもしれない。